「娘に『私が母さんを産んだんだよね』と言われた日。永遠の二十歳・後編」

50代の暮らしと心の整え方

前編のあらすじ:時空の歪みの始まり

前編では、私が「おばさんになりたくない」という一心で始めた「永遠の20歳」設定が、いつの間にか家族共通の遊びになり、わが家に笑いをもたらしているお話をしました。

しかし、娘が20歳を超えた今。
わが家の「年齢詐称ごっこ」は、想像もつかない斜め上のステージへと突入してしまったのです。

「私が母さんを産んだんだよね」というパワーワード

20歳を超え、大人の女性になった娘。
最近の彼女は、私の「永遠の20歳」設定に対し、さらりとこう言い放ちます。

「あ、そういえば、私が母さんを産んだんだっけね」

……逆です。完全に、逆転しました。
もはや私が彼女を産んだ事実はどこへやら。
彼女の中で私は「自分が産み落とし、20歳まで育て上げた娘」のような存在に昇格(あるいは降格?)してしまったのです。

娘の「大きな愛」に包まれて

普通なら「そんなわけないでしょ!」と返すべきところ。
でも、私はこの言葉に、娘の深い愛を感じずにはいられません。

私が「20歳」という若さや純粋さを持ち続けたいと願うわがままな気持ちを、彼女は否定するどころか、丸ごと受け止めてくれました。
それどころか、「よしよし、私が守ってあげるからね」と言わんばかりの包容力で、私を包み込んでくれているのです。

娘が外で私の年齢を聞かれたときのセリフも、より説得力を増しました。
「母の年齢は知りませんが、本人は永遠の20歳と申しております。……もう私から産まれたということになりますかね(笑)」

そんなやり取りが聞こえてきそうなほど、私たちの絆は、数字や常識という概念を超えた場所にあるようです。

「永遠の20歳」を生きるということ

実年齢が50代だろうと、娘に「私が産んだ」と言われようと、私が大切にしたいのは「心の鮮度」です。

娘に「私が産んだ」と思わせるほど、無邪気で、瑞々しく、どこか放っておけない母でいたい。
そう願うことで、私の毎日は「50代の深み」と「20歳の軽やかさ」が同居する、不思議で幸せな時間になっています。

本当の年齢は、ただの記録にすぎません。
大切なのは、大切な人とどんな物語を紡いでいくか。

子どもたちよ、今日も「20歳の母」を可愛がってくれてありがとう。
私は今日も、娘(?)の大きな愛に全力で甘えながら、胸を張って生きていきます。

「はい、永遠の20歳(プロフィールは50代)です!」

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